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嬬恋村(つまごいむら)の激動の歴史を振り返る!災害や火山とキャベツの間にある密接な関係とは?

2024年07月31日 地元を考える 生活環境

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季節を問わず多くの観光客が訪れ、キャベツなどの高原野菜の名産地としても知られている群馬県嬬恋村。しかし、どのようにして村を成したのか、名産のキャベツはいつ生み出されたのかなど知らないことも多いはずです。

この記事では、嬬恋村にまつわるこれまでの歴史について解説します。かつてと今の嬬恋村に想いを馳せながらご覧ください。

嬬恋村の歴史とこれまでの歩み

では早速、嬬恋村のこれまでの歴史とその歩みを紹介します。

はじまりは縄文時代から

村内各地で発見されている石器や土器などの情報から、嬬恋村の歴史は約6000年前の縄文時代までさかのぼるといわれています。その後、さまざまな文化の影響を受けて発達し、平安時代になると各地に住居や集落が作られるようになりました。

このころの嬬恋村は「三原庄」や「吾妻庄」と呼ばれるようになり、信濃源氏の末裔である海野氏が支配していたとされています。

動乱の時代を駆け抜けた鎌倉から戦国時代

鎌倉時代になると、海野氏の子孫である下屋氏の支配が始まります。その後も支配者は幾度も変わり、戦国時代には真田氏という実力者の領土となりました。真田氏の配下は、その後江戸時代まで続いたと文献には記されています。

宿場や関所も置かれて賑わいを見せた江戸時代

江戸時代に入ると、上州と信州を結ぶ街道が整備されます。沿道には宿場や現在の大笹地域には関所がおかれるなど多くの人が行き来する場所となりました。

しかし、天明3年(1783年)に浅間山で天明の大噴火が起こります。多くの犠牲者を出し、あたり一帯は甚大な被害を受けることになりました。

現在の嬬恋村の名称になった明治時代

壊滅的な被害を受けた村はその後、復興に向けて歩みだします。

明治22年になると市町村制が施行されました。この時にかつて11あった各村が合併し、現在の嬬恋が誕生するのです。

嬬恋村の名前の由来について

では、嬬恋村という名称にはどのような由来があるのでしょうか。それは古事記や日本書紀に登場する古代の英雄「日本武尊」の時代までさかのぼります。

村と日本武尊を語るうえで欠かせないのが、妻である「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海の神の怒りを鎮めようと自らの身を海に投じたという伝説です。

その後、日本武尊は現在の長野県都の県境にある鳥居峠に立ち「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)と嘆き悲しんだとされています。

この言い伝えをもとに、明治時代に嬬恋村(つまごいむら)と命名されました。今では、妻への感謝の気持ちを叫ぶ「愛妻の丘」などの観光名所を設け、愛妻家の聖地としても有名です。

嬬恋村と災害の歴史について

続いては、嬬恋村で起きた過去の災害について解説します。

天明の大噴火について

嬬恋村で起きた最も大きな災害の一つが、江戸時代に起こった天明の大噴火です。この時に発生した土石なだれにより、村だけでも500名近くの犠牲者を出したといわれています。

さらに、噴火の影響で水害や火山灰の堆積など二次、三次被害が引き起こされ、その後数年にわたり大きな被害をもたらしました。

嬬恋村防災の日制定

2019年には記録的な大雨により、過去最大級ともいえる大きな被害を受けることになりました。村へ続く公共インフラが機能を失い、家屋が倒壊してしまった家庭もあったといいます。

しかし、過去には天明の大噴火を一丸となって乗り越えた歴史を持つ村として、2022年に大雨の被害を受けた10月12日を「嬬恋村防災の日」と定めることにしました。

「災害に強いむらづくり」を目指し、自助、共助、公助の概念に基づき村民それぞれに強い防災意識の向上を促します。

嬬恋村とキャベツの歴史について

続いては嬬恋村の歴史を語るうえで欠かせない、キャベツについても解説します。

浅間山とキャベツは密接な関係だった?

嬬恋村のキャベツ畑は「黒ボク土」という黒い土から成ります。火山灰が堆積するエリアにしか生成されない世界でも貴重な土です。

実はかつて起こった天明の大噴火以外にも、大噴火は3度ありました。そのたびに多くの火山灰が堆積し、現在の土壌が完成したとされています。

光の土によって大量のキャベツを栽培

黒ボク土は世界的にも貴重な土ですが、かつては作物が育ちにくいという評価を受けていました。

しかし、戦後に入ると農業技術が発達し、野菜が育つ土に生まれ変わります。黒かっただけの土が一躍光の土となり、今では村の名産品であるキャベツを生み出したのです。

まとめ

嬬恋村の激動の歴史をまとめてみました。かつては村に甚大な被害をもたらした大噴火が、現在では村が誇る一大名産品となったキャベツ作りに役立っているなど意外な事実を知ることができたのではないでしょうか。

マイナスなことが起こっても、それをプラスの状態へと転換した村の姿勢は誰しもが見習いたい部分ですね。

 参照
 ・嬬恋村紹介|嬬恋村役場 総務課
 ・天明3年(1783年)浅間山噴火|国土交通省 関東地方整備局 利根川水系砂防事務所
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私たちについて

プリンスランド興産は、プリンスランドや浅間湯本などの別荘地を運営管理し、嬬恋村の地域活性に貢献できるサービスを提供しています。私たちの使命は、嬬恋村の魅力を広め、より多くの方にその良さを知っていただくことです。自然豊かなこの村で、観光、レジャー、そして生活を楽しむための情報を発信し、地域の発展に貢献することを目指しています。嬬恋村が持つ独自の魅力を引き出し、多くの人々にその素晴らしさを体験していただけるよう努めています。

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